その指先に宿すマイクロスケールを操る技術が 
患者の希望をつなぐ大きな光に。

人体の中でもとりわけ複雑な器官である「手」の手術は、
その微細さ、複雑さから特に難しいことで知られている。

「手外科(※1)」という診療科が生まれたのはそんな背景からだ。
ここでは「マイクロサージャリー(※2)」と呼ばれる特殊な手技を用い、
仕事などで誤って切断してしまった指を元につなぐなどの手術をはじめとした、高難度な手術が行われている。

手外科において世界をリードしてきた我が国において、
長年にわたり治療の最前線に立ち続けてきたのが大井先生だ。
マイクロサージャリーを駆使した手の手術のスペシャリストとして
同科の現状と課題、この先の見通しについて聞く。

髪の毛よりも細い糸で血管をつなぐ超絶技巧

自宅での日常生活や勤務先での業務、スポーツや楽器をはじめとした趣味など、あらゆるシーンで酷使される「手」。それだけに怪我や疾病にかかる機会も多く、そのバリエーションもさまざまだ。

手外科は、骨や関節、筋肉、腱、神経などが傷つき損なわれた機能改善を図る整形外科と、欠損や変形などの身体表面の異常に対して美容的に治療を行う形成外科の2つの科とは別に存在する超専門の診療科です。私自身30年以上にわたり手術に携わっています。外傷は個々に違いがあるのは当然ですが、外傷以外の手外科疾患も患者でかなり違いがあり、外傷や疾患数では他の科では及ばない多様性があります。従って知識経験量・その場での判断なども他の科では及ばない難しさがあります。

手は皮膚、骨、関節、靭帯、筋肉、腱、神経、血管などが収められたコンパクトで精密な器官だ。そのため手術には「マイクロサージャリー」という特殊な方法が用いられる。

これは文字通り、微小(Micro)な外科(Surgery)ということで、手術用の顕微鏡を用いて、例えば完全に切断された指を再接着(もとの位置につなげる)するような手術や、顕微鏡でしか見られないような非常に細かい手術をします。他の科の手術は、今もほとんど肉眼で行いますので、昔から手の手術にはそれだけ細かい手技が必要とされるということです。

この技術を用いることで、怪我などで完全に切断された指もつなぐことができる。切断された指を再接合する場合、細かい血管や神経などを一つ一つつなぎ合わせていくことで機能の回復を図るのだという。

完全に切断された指を再接着する場合は、最低でも動脈と静脈をつなぎ切断された指に血液を流す必要があります。それ以外にも骨や腱や神経をつなぐ必要があります。手の血管は直径1mm以下ほどの細さで、これを髪の毛より細い糸を使って縫い合わせていくのです。

想像しただけでも常人には到底不可能だと分かるこの微細な手術は、特殊な顕微鏡下で行われる。

手術用顕微鏡は双眼鏡と同じような仕組みで、10〜50倍に拡大しながら血管や神経を縫います。顕微鏡は双眼鏡と同様に立体的に見えますので、医師は血管や神経の状態を目でしっかり確認し、安全かつ確実に手術を行うことが可能です。

熟練の技術を要する一方、患者は常に一刻を争う状態で搬送されてくる。この専門性と緊急性の高さだけでもハードルが高いが、さらに専用の設備が必要なため、受け入れは国内でも限られた病院にしかできない。

手外科とマイクロサージャリー、双方の治療ができる病院は少ないです。外傷について、当院は静岡全域および愛知県東部などの患者さんが搬送されてきます。手外科疾患は外傷だけでなく、外傷以外の患者・手術後の予後が思わしくない患者、先天疾患、その他年齢を問わず手外科の患者さんは全国から来院されています。

マイクロサージャリーが使われるのは手外科だけではない。がん治療をはじめ他科でも欠かせない技術になっている。

よくあるのはがん手術で切り取った臓器や器官をつくり直す再建手術ですね。例えば舌がんの摘出により舌が失われると、声の発生や嚥下などの機能が損なわれてしまいます。そこで腹部や大腿部から組織の移植を行い、舌の形を再建するのです。こうした移植治療などの分野でも、マイクロサージャリーは欠かせない技術となっています。

国外では顔の移植や子宮移植といった例も。
進化を続けるマイクロサージャリー

マイクロサージャリーは1921年、スウェーデンの医師により開発された。耳鼻科領域で臨床が始まった後、器具の改良とともに眼科や脳神経外科、形成外科や整形外科領域への応用が進んでいった。

世界で初めて切断指の再接着術を成功させたのは、実は日本の医師なんです(※3)。日本人はもともと指先の細かい作業が得意だということもあって、長年にわたり日本は世界をリードする立場にありました。その後もこのマイクロサージャリーはさまざまな術式が開発されながら発展を続けました。

指であれば適切に冷却しておくことで切断後24時間程度は再接着が可能だが、腕などの筋肉を含む組織になると6時間程度が限度だという。いずれにしても時間との闘いになる治療現場で、さまざまな手技を組み合わせながら多様な症例に対応していく。

予定手術が入っている時間に急患が運ばれてくることも当然あります。もともと専門医が少ない分野ですから、我々に「やらない」という選択肢はありません。そのため医師には患者さんの緊急度を見極めながら、治療の段取りをその場で決めていく柔軟さと判断力が求められます。

さらに難しいのは、臓器などと異なり、患者が自らの意思で動かす器官であるという点だ。

手術そのものの難しさに加え、成否がはっきりと、すぐに出るという難しさもあります。わずかな瑕疵が一カ所でもあれば手や指は動きませんから。

術後の回復にはリハビリが欠かせない。そのため聖隷浜松病院では手のリハビリを専門に扱うハンドセラピスト(※4)と二人三脚で治療にあたっている。

たとえ手術がうまくいっても、適切なリハビリが行われなければ障害が残ってしまう可能性があります。そのためタッグを組むハンドセラピストには私たち医師の近くに常駐してもらい、互いに意見交換しながら治療方針を決定しています。手術の際などはカンファレンスに参加してもらい、患者さんごとに最適な治療が提供できるよう努めています。

マイクロサージャリーの進化により、海外では他人の手や指、腕を移植し、成功した症例もあるという。

上肢の移植は1998年から海外では行われています。今では手外科の領域だけでなく、やけどで失われた顔の移植や、子宮を移植し出産することなども実現できるレベルに技術は進歩しました。日本では倫理的な観点から同様の手術は行われていませんが、映画『フェイス/オフ』のような顔の交換は、ファンタジーの話ではないのです。

万が一、事故などで自らの指が切断されてしまった場合、どのような対応をするべきなのだろうか。

骨を含むような指の切断の場合であっても、傷(切断面)をしっかり圧迫すれば、ほとんどの場合、出血多量の心配はありません。すぐに救急車を呼んでください。指の切断での救急車の依頼は問題ありません。切断指の処置は救急隊が知っているので、任せれば大丈夫です。

寝食を忘れ手術に没頭する日々。努力と症例の積み重ねで磨き上げられた手技

大井先生は1981年に富山医科薬科大学(現:富山大学)の医学部を卒業。卒業後はどこの医局にも所属せず、さまざまな病院、さまざまな診療科で臨床研修を経験したという。これは当時の医師が歩むキャリアとしては異例のことだ。

私の頃の卒後は、どこかの大学の医局に所属する医師がほとんどで、私のような医師はまれでした。医局に入らなかった理由ですか…なんとなくですね(笑)。いえ、本当のところはいろいろ見てから自分の進む道を決めたかったからです。佐久総合病院で、今のような臨床研修医として2年間経験を積み、新潟大学整形外科出身の隅田潤先生に出会いました。

当時、新潟大学の手外科は広島大学と並び国内有数の症例数を誇っていた。この恩師の下で大井先生は手外科やマイクロサージャリーの手ほどきを受けることになる。

私はその後も、どこの大学の医局にも在籍することなく、新潟大学の手外科出身である隅田先生の教えの下でさまざまな手技を身につけていきました。私の同期の医師たちと比べて私の手技は2年遅れていたわけですから、その遅れを取り戻そうと必死でしたね。

若い医師にとって2年間の遅れは途方もなく大きい。そのギャップを埋めるべく、文字通り不眠不休で手術室に立ち続けたという。

当時は年間600例くらい手術していました。深夜に切断指の再接着手術を行い、明け方にも救急搬送されてきた患者さんを手術して、朝から外来で診察をして…といった具合です。当時の佐久総合病院には小さい研究所があって、ラットを使った血管縫合などの練習ができましたし、現在の私の土台となっている部分はこの時期にみっちり鍛えられました。

学ぶべきことは無限にあった。昔から「手の病気は100種類以上ある」といわれるほどの数多い症例と、外科医としてそれぞれに対応する手技をすべて身につけなくてはならない。

事故による怪我はもちろん、先天性の病気から腱や関節が変性する疾患まで、とにかく症例は多岐にわたります。赤ちゃんの小さな手を扱うこともありますし、血管が弱くなった年配の患者さんを扱うこともあります。これらの幅広い症例に向き合っていくためには、ありとあらゆる手技を習得し、合わせ技でそれぞれのケースに対応していくほかにないのです。

患者の願いに応えるために、手外科の未来を切り拓いていく

マイクロサージャリーは座学では習得できない。若い医師はとにかく場数を踏むことで身につけるほかにないのだが、近年は働き方改革でそれが難しくなってきている。

医師の世界でも労働環境の整備は重要なテーマではありますが、手外科の未来を考えると、いかに若手医師に経験を積ませるかということも同じくらい重要になってきます。私が若い頃は寝ずに働くような無茶もできましたが、今同じ方法で教育することは困難です。手外科に限らず、外科医の育成においてはどこもこの板挟みに悩んでいるのではないでしょうか。

そもそも技術レベルの向上の前に、若い医師が手外科について学ぶ機会が少ないという課題にも直面している。

手外科の教育ができる大学や病院が少ない、つまり若手に教える医師が少ないということですから、学びたいと思ってもその場所がないという問題につながっています。当院が全国から研修希望の医師たちを受け入れていることには、そうした背景があります。また、東京や大阪などの都市部に医師が集中していることも近年の問題です。このままでは地方で十分な治療を受けられない患者さんが増えていくでしょう。

大井先生は手術室に立つ傍ら、こうした若手の育成にあたっているほか、2022年12月に行われた第49回日本マイクロサージャリー学会学術集会の会長も務め、さらには書籍の執筆やテレビ出演などの広報活動にも注力している。

知名度の低さは、先ほど挙げた課題の大きな要因のひとつですからね。私の活動の他にも近年は手外科をテーマにしたコミックの連載が始まるなど(※5)少しずつではありますが、皆さんに知っていただける機会が増えてきているとは思います。

近年は他の診療科において手術支援ロボット(※6)の導入が進んでいるが、手外科のマイクロサージャリーに精密なロボット技術の応用はできないのだろうか。

今のところはまだ難しいですね。それでもいろいろなチャレンジをしています。手外科では直径0.5mm程度の血管の吻合(ふんごう)などを行いますが、現在のロボット技術ではおそらく1mmが限界でしょう。さらにつなぎ合わせる血管の太さが違うとなればお手上げでしょうし、手術では血管だけでなく神経や腱、骨なども同時につなげなくてはいけませんからね。この領域の未来はこれからです。

患者から感謝されるケースも多いように思えるが、大井先生自身はどのようなシーンでやりがいや達成感を得ているのだろうか。

いえ、毎回「もっと良くできなかったか」という後悔にも似た気持ちを抱いています。一度切断した指の再接着に成功しても、機能が100%戻ることは絶対にありません。患者さんの「元のように動かしたい、なりたい」という願いに応えるべく医療の進化は続いていますが、今のところ100%元通りにするのはまだ難しい。我々にはまだまだやるべきことが多くある中で、達成感のようなものを感じる余裕はないですね。

理解が深まる医療用語解説

※1)手外科

整形外科および形成外科の中から手を専門とする医師たちが、肘から手指までの範囲の外傷、腱鞘炎などの腱の障害、各種関節症、神経障害、先天性障害などに対する外科的治療を担う診療科。

※2)マイクロサージャリー

手術用ルーペや手術用顕微鏡を用いて行う微細な手術(Microsurgery)。手外科のほか、白内障の手術や脳血管動脈瘤の手術、細い血管同士をつなぎ合わせる各種移植手術にも欠かせない。

※3)世界初の切断指再接着手術に成功

1965年(昭和40年)、奈良県立医科大学の玉井医師の執刀によるもの。当時からマイクロサージャリーは日本のお家芸とされ、現在に至るまで先進的な研究や技術開発が各地で行われている。

※4)ハンドセラピスト

作業療法士の中でも,特に上肢に損傷や障害を負った患者へのリハビリテーションにより機能回復を図る専門家を指す。医師や看護師と連携し、リハビリを含めた最適な治療計画を作成・実施していく。

※5)テノゲカ(コミック作品)

手外科をテーマにした作品で、詩石灯(原作)と新井隆広(作画)により2023年から週刊少年サンデーでの連載が始まった。監修として順天堂大学医学部附属浦安病院 外傷再建センターの市原理司センター長が参加している。

※6)手術支援ロボット

米国製の「ダヴィンチ」などが知られる。マイクロサージャリーの分野でも応用の検討が始まっており、まだ臨床で完全に使えるような技術はないが、その開発は日々進歩している。

プロフィール

聖隷浜松病院
手外科・マイクロサージャリーセンター
大井 宏之(おおい・ひろゆき)

プロフィール

年間およそ600例の手術を行う手外科・マイクロサージャリーセンターのセンター長を務める。2020年には「図解手指の痛み・しびれ解消事典(Gakken)」を出版。日本マイクロサージャリー学会の学会長も努めるなど、発展に尽力している。1995年から2010年までJリーグジュビロ磐田のチームドクターも務めた。

1987年 長野県厚生農業協同組合連合会
    佐久総合病院 臨床研修医
1989年 長野県厚生農業協同組合連合会
    佐久総合病院 整形外科
1995年 聖隷浜松病院 整形外科
1997年 聖隷浜松病院 手外科・マイクロサージャリーセンター
1998年 米国Kentucky州Louisville, Christine M. Kleinert Institute for Hand and Microsurgery研修
2007年 手外科・マイクロサージャリーセンターセンター長


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