「順天堂かゆみ研究センター」を率いて、
難治性かゆみの“正体”の解明と治療法の追究に邁進

かゆみの原因やメカニズムについては、私たちはあまりにも知らないことが多い。

それもそのはず、かゆみがどういった症状なのか、 何が原因なのかについて本格的な研究が始まったのは1980年代に入ってからのこと。 かゆみについては未知の領域が多い分野なのだ。

今回は日本でかゆみについて本格的な研究を始めた第一人者である髙森建二先生に話を伺った。

「痛み」に比べて遅れている「かゆみ」の研究

従来の治療法ではなかなか治らない「難治性かゆみ」に悩み苦しむ患者が多くいる。 そうした人々を救うべく活動を行っている研究機関がある。 2019年8月、順天堂大学医学部附属浦安病院の環境医学研究所内に開設された「順天堂かゆみ研究センター」だ。

同センターの目的は「難治性かゆみの発症メカニズムの解明と予防・治療法の開発」。 センターを率いるのは、世界的なかゆみの研究者であり、 わが国における「かゆみ」研究の第一人者である皮膚科医の髙森建二先生だ。 髙森先生は順天堂大学名誉教授・大学院特任教授(皮膚科学)であり、 現在も実際に治療に携わる医師だ。

ちなみに、かゆみに関する研究機関は2011年にアメリカのワシントン大学セントルイス校に初めて開設され、 以降、アメリカ国内に4カ所、ドイツに2カ所の計6カ所あるのみ。 順天堂かゆみ研究センターはそれに次ぐ7カ所目の開設となる。 近年までかゆみ専門の研究機関がなく、またその数の少なさからわかる通り、 かゆみの研究は医学界ではほとんど重要視されていなかったと髙森先生は述べる。

少し前までは、かゆみを脳に伝える神経と痛みを伝える神経は同じであり、 かゆみは痛みの弱い感覚であると信じられてきました。 同じ神経を強く刺激すると「痛み」が起こり、弱く刺激すると「かゆみ」が起こるとされていたのです。

そもそも命が奪われる危険性があるのは「痛み」であり、 「かゆみ」で命が奪われることはないだろう、 痛みを研究すれば、かゆみの仕組みもわかるという、 かゆみを軽視する考え方に世界中の医学界が支配されていました。

また、かゆみのほとんどは「ヒスタミン※1」によって引き起こされると考えられ、 したがって、かゆみを抑える薬として「抗ヒスタミン薬」が多用され、現在も多くのかゆみ治療に使用されている。

抗ヒスタミン薬が効かない難治性かゆみ難民を救いたい

しかし、抗ヒスタミン薬では効かないかゆみに悩んでいる患者さんも多くいらっしゃいます。 私はこれを「難治性かゆみ」と命名しています。 アトピー性皮膚炎※2や慢性腎症や糖尿病性腎症などの腎臓疾患、 慢性肝炎や肝硬変などの肝臓疾患、乾皮症、乾癬などを原因とするかゆみには抗ヒスタミン薬は効きません。

治らないかゆみに悩まされて、健康的な生活に悪影響を及ぼされ、 集中力や判断力が低下することで働く能力や勉学の意欲も落ちる人が少なくありません。 私はこうしたかゆみの治療から取りこぼされた、 いわば“かゆみ難民”ともいうべき人たちを救いたいと考えて、これまで研究を続けてきました。

髙森先生がかゆみの研究を始めたのは1980年代。 その当時は先に述べたような状況であり、近年までそうした状況が医学界、医療界の主流を占めていたが、 かゆみに関する研究は痛みに比べて著しく立ち遅れていた。

難治性かゆみの多くは「乾燥肌」が深く関与している

髙森先生は皮膚科医あるいは教授としての仕事のかたわら、 個人的にコツコツと難治性かゆみの研究を進めてきた。 最近では世界の医学界でも難治性かゆみの研究が盛んに行われるようになった。

1990年代から2000年代にかけて、「痛み」と「かゆみ」は同根でなく、 痛みを脳に伝える神経経路とかゆみの神経経路は全く別のものであるということが解明された。

抗ヒスタミン薬が効かない難治性かゆみの多くは「乾燥肌」に関係しています。 健康な肌は角質細胞が隙間なくピッタリとくっつき合って、皮膚の表面を覆っています。

ところが乾燥肌になると角質細胞の間に隙間ができ、 体内の水分がどんどん失われていき、同時に外部の異物が肌の奥に入り込み、 よくない刺激を与え炎症などを引き起こします。 そもそも、なぜかゆみという感覚が起こるのでしょうか。 皮膚のうち最も外部に接しているのが「表皮」で、その下に「真皮」があります。 かゆみを伝える神経線維は通常、表皮と真皮の境界部までしか伸びていません。

ところが、乾燥肌になると多くの神経線維が表皮まで伸びてきます。 先ほどご説明した通り、神経には痛みを伝える神経とかゆみを伝える神経があります。 神経は大きさ順にA線維、B線維、C線維があり、かゆみを伝える神経は最も小さいC線維で、 皮膚の末端角層近くまで伸びています。 その神経線維の末端にあるレセプター(受容器)※3が刺激物質の“受け入れ先”です。

乾燥肌では神経が表皮のひび割れた部分の近くまで伸びてきているので、 刺激物質を受けやすくなり、かゆみが生じやすくなるわけです。 レセプターは約20種類あり、ヒスタミンのレセプターはその1種に過ぎません。

ヒスタミンは肥満細胞に含まれている物質で肥満細胞がアレルゲンや薬剤などで刺激されたときに遊離され、 ヒスタミン受容体に結合してかゆみを起こす。 この場合には、抗ヒスタミン薬がかゆみを抑えることができる。

しかし、ヒスタミン以外の刺激物質が原因となるかゆみは治すことができない。 この場合のかゆみの研究は長い間行われていなかったが、 近年になり世界中で盛んに行われるようになった。 「順天堂かゆみ研究センター」はそうした研究施設の一つだ。

「冷やす」民間療法にも医学的根拠がある

先ほど述べた通り、アトピー性皮膚炎や腎臓疾患、 肝臓疾患などは抗ヒスタミン薬の効かないかゆみを起こします。 特に難治性かゆみの中でもアトピー性皮膚炎のかゆみは強烈です。 そのかゆみには特徴があります。 かゆみが収まらないので、ずっと掻き続けてしまいます。 掻き続けていると痛くなるので、アトピー性皮膚炎以外の人は掻くのをやめますが、 アトピー性皮膚炎の人は痛み刺激がかゆみとなるため、 掻くのをとめられなくなり夜寝ている間も掻き続けることになります。

健康的な人が掻いていると痛みが起こり始めます。 すると、かゆみが一時的に収まります。 これは、かゆみの神経が活性化して掻き続けることによって、 痛みの神経も活性化し、痛みの神経線維の末端からかゆみを抑制する物質が出され、 かゆみの神経を一時的にブロックするためかゆみが止まるのです。

かゆみに悩んで医療機関を受診しても治らない患者の中には、 悩んだ末に自分自身で改善法を試す人もいる。 そうした中で髙森先生が注目しているのが、 意外にもかゆみの部分を「冷やす」ことだという。

これは痛みの神経と同じ原理です。 患部を冷やすことで冷たさを感じる神経が活性化します。 すると、その神経線維の先端からかゆみを抑制する物質が出て、 かゆみの神経をブロックするわけです。 私どもはそうした民間療法などもけっして軽視しません。 かゆみに悩んだ患者さんが悩んだあげく、先人の知恵を生かした結果ですから。

「冷やす」という方法はおそらく、かなり以前から行われてきた方法でしょう。 それが今も伝え残っているということは、効果があるからです。 私どもの病院に受診される、難治性かゆみに悩まれている患者さんには、 まず、かゆみ止め軟膏に冷たさを感じるメントールを混ぜて塗るように伝えます。 多くの患者さんはこれで一時的にせよ、かゆみから解放されます。 その間に、その患者さん個々のかゆみの原因を探り、本格的な治療を始める準備をします。 耐え難いかゆみに悩んでいるのなら、 私たち皮膚科医にご相談されることが第一歩です。

診療科を超えて難治性かゆみの解明をめざして臨床と基礎の医学が協力

難治性かゆみの場合、肝臓や腎臓の病気などさまざまな疾患を原因とすることも少なくない。 そのため、肝臓や腎臓などの専門の診療科から相談がもたらされるケースもある。 こうした専門内科の医師と共同で個々の患者について解決策を探っていく。

難治性かゆみが起こるもう一つの原因に、 緩和ケアで痛み止めのため投与するモルヒネ使用がある。 麻薬であるモルヒネを使用する際には細心の注意が必要だが、 それに加えて、かゆみも問題であることから、より一層、各診療科間の連携が必要である。

 当センターの大きな特徴の一つが、かゆみというテーマのもと、 皮膚科だけでなく、かゆみに関わるさまざまな診療科が一緒になって予防法や治療法を探っていることです。

さらに、こうした臨床現場の医師が参加しているとともに、 センターには皮膚科学、内科学、薬学、看護学、栄養学、生物工学などさまざまな専門家が在籍していることから、 「臨床医学」と「基礎医学」が協力しやすい環境にあることも大きな特徴です。

実際に患者を診察し治療している臨床医学の現場と、 さまざまな専門家がかゆみというテーマで研究を行っている基礎医学の現場が協力して、 臨床と基礎を結びつけるトランスレーショナル・リサーチ※4、 すなわち、基礎の研究結果を臨床が応用する施設が、順天堂かゆみ研究センターである。

「保湿剤」塗布と、「紫外線」に当たることに効果

では、順天堂かゆみ研究センターが解明してきた難治性かゆみのメカニズムの解明や、 予防・治療法について説明しよう。

1つ目が「乾燥肌」について。髙森先生が説明した通り、 乾燥肌になると角質細胞の間に隙間ができ、体内の水分がどんどん失われていき、 同時に外部の異物が肌の奥に入り込み、よくない刺激を与える。

皮膚の中で最も外部に接しているのが「表皮」で、その下に「真皮」があり、 かゆみを伝える神経線維は通常、表皮と真皮の境界部までしか伸びていないが、 乾燥肌になると多くの神経線維が表皮まで伸びてくる。 このメカニズムを解明したのが順天堂かゆみ研究センターである。

水分量が少なくなっている乾燥肌に対しては「保湿剤」を塗ることで、 水分が失われることを防ぐ。 単純な方法のようですが、実は医学的には非常に優れた方法なのです。 保湿剤を塗ると、皮膚を潤されるとともに、 表皮まで伸びてきた神経線維が元の位置まで引っ込むことが私どもの研究でわかりました。 国立成育医療研究センターで行われた研究も、 保湿剤の効果についてポジティブな結果を残しています。

同センターでは、 両親あるいは片方の親がアトピー性皮膚炎である新生児には毎日保湿剤を塗って特別なケアをしました。 約8カ月後、保湿剤を塗ったグループはアトピー性皮膚炎の発症率が約3割低いという結果が出ました。

この研究により、親からアトピー性皮膚炎の遺伝因子を引き継いでいる可能性がある新生児において、 生まれた直後から保湿剤を塗り続けることによって、神経線維が表皮層まで伸長しにくくなり、 同時に皮膚のバリア機構が維持され、アトピー性皮膚炎になりにくくなるということです。

保湿剤と同様の効果を期待できるのが「紫外線療法」だ。

難治性かゆみが起こっている皮膚に紫外線を照射すると、 表皮に侵入していた神経線維が元の位置まで後退することでかゆみが改善するということが、 順天堂かゆみ研究センターの研究で実証されている。

皮膚がんの発症を恐れて紫外線に当たることを嫌がる風潮を耳にしますが、 紫外線による日本人の皮膚がん発症率は欧米人に比べると微々たるものです。 皮膚がんを恐れて幼い時から日光に当たることを避けるのは本末転倒です。

アトピー性皮膚炎を例に取っても、日光は非常に重要な“お医者さん”です。 私どもではアトピー性皮膚炎の患者さんにはできるだけ日光に当たるように勧めています。

神経反発因子「セマフォリン3A」が、かゆみ軽減の“救世主”に

難治性かゆみの研究にまい進している順天堂かゆみ研究センターは先ごろ、 難治性かゆみの発症に関わる「セマフォリン3A」の産生メカニズムを解明し、 2020年3月12日付で医学雑誌のオンライン版で公開した 。

セマフォリン3A※5は神経線維が伸びることを抑え、伸びている神経線維を縮める働きがあるタンパク質で、 「神経反発因子」とも呼ばれる。

一方で、神経線維を伸ばす「神経伸長因子=NGF」というタンパク質がある。

私どもがアトピー性皮膚炎の患者さんの表皮細胞を調べたところ、 セマフォリン3Aが産生される量が減少し、NGFが増加していることがわかりました。

実はこの研究の結果、先ほど述べたような神経線維が表皮近くまで伸び、 かゆみを難治化させていることがわかったのです。 セマフォリン3Aが減少しNGFが増加することで神経線維が伸びるということです。

こうした研究結果を踏まえて、 今後はセマフォリン3Aを産生する方法の開発を行っていきたいと考えています。 セマフォリン3Aを使った薬はアトピー性皮膚炎の難治性かゆみを改善する画期的なものになる可能性があります。 現在、研究所のスタッフが一生懸命開発を進めている最中です。

日本で唯一の「かゆみ」の専門研究機関として日夜研究を行っている順天堂かゆみ研究センター。 最終的な目標は、研究を薬の開発に結びつけて、患者の苦しみを少しでも軽減することだと髙森先生は述べる。

多種多様なかゆみが起きるメカニズムが解明できれば、 治療法やかゆみを抑制する方法が開発でき、将来的には難治性かゆみもコントロールできるようになると信じています。

かゆみがコントロールできる時代が、すぐそこまで来ていることを期待したい。

理解が深まる医療用語解説

(*1)【アトピー性皮膚炎】

かゆみを伴う湿疹(しっしん)が、全身または部分的に発生する病気。 アレルギー性の体質や皮膚のバリア機能の低下など、さまざまな原因が組み合わさって起こる。

(*2)【ヒスタミン】

末梢神経や中枢神経に広く分布して存在する生理活性物質。 生体内で炎症やアレルギー反応、胃酸分泌、神経伝達に関与している。

(*3)【レセプター(受容器、受容体)】

細胞表面や内部に存在し、 細胞外の特定の物質(ホルモン・神経伝達物質・ウイルスなど)と特異的に結合する場所で細胞の機能に影響を与える。

(*4)【トランスレーショナル・リサーチ】

大学等のアカデミアにおいて基礎研究の優れた成果を、 次世代の革新的な診断・治療法の開発(新しい医薬品や医療機器等の開発)につなげることを目的として行う基礎研究から臨床現場への「橋渡し研究」を意味する。

(*5)【セマフォリン3A】

細胞間のシグナル伝達に関わるタンパク質群であり、神経回路の形成や免疫細胞の調節に関わっている。 名前の由来は、神経細胞の軸索を伸ばす方向を決める物質として最初に発見されたことから「手旗信号(semaphore)」に基づいて命名された 。

プロフィール

学校法人 順天堂理事 順天堂大学大学院環境医学研究所・所長
順天堂大学名誉教授・大学院特任教授(皮膚科学)
医学博士/髙森建二

1967年、順天堂大学医学部卒業。 1977年に米国Duke大学皮膚科を経て、1993年10月 順天堂大学医学部皮膚科・教授に就任。 2007年に順天堂大学名誉教授・特任教授に就任。 2008年に順天堂大学大学院医学研究科環境医学研究所・所長を就任。 2019年には順天堂かゆみ研究センター長に就任。現在に至る。

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