3000例以上を手掛けてきた乳がん手術の“神の手”

女性のがん罹患数トップの乳がん。

がんの中では比較的若い年代で罹患数ピークを迎え、
現代女性にとっては「付いて回る病気」になっている。

そんな乳がんとの向き合い方を乳がん治療の最前線に立ち、
“神の手”とも称される明石定子先生に伺った。

**早期発見・治療できるのが乳がんの特徴
治療技術や薬も進化しているので過剰に恐れないで。**

女性のがん罹患数1位、増え続ける乳がん

国立がん研究センターが発表した「2018年のがん統計予測」によると、女性のがん罹患数1位は乳がんという結果に。同センターの調査によると1985年以降、乳がん罹患数は増え続けており、年間約9万人が今も乳がん患者になっている。また、乳がんの罹患年齢のピークは40代後半と、比較的高齢で罹患する他のがんに比べて若い。

しかし、近年乳がんの死亡者数は減少に転じ始めた。がん検診による早期発見や治療技術の進歩がその要因だろう。そんな乳がん死亡者数減少の一助を担っているのが、昭和大学病院の乳腺外科医、明石定子先生だ。

「日本人の乳がん患者が増え続けている背景には、食生活の欧米化が挙げられます。従来日本人の乳がんは少なく、欧米人に多い病気でしたが、動物性脂肪を多く含む欧米的な食生活の浸透と共に増加してきました。

ちなみに数万人の日本人を対象にした調査によると、みそ汁を毎日3杯飲む人は、飲まない人に比べて乳がん発症率が低いという結果もあるそうです。他の食事をそろえて調査をしたわけではないのではっきりとは言えませんが、大豆製品やみそ汁を含むようなバランスの取れた和食が乳がん予防には良いのだと思います。

また、未産、高齢初産も乳がんのリスク因子です。他にもご家族に乳がんにかかった方がたくさんいらっしゃる家族性乳がんの方や、ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーさんのようにBRCA1やBRCA2(*1)などの遺伝子変異を親から受け継いでいる遺伝性乳がんの方、対側が乳がんにかかった方などは、乳がんにかかりやすい傾向にあります。」

増加傾向にある乳がんだが、治療可能な病気なので恐れる必要はないと明石先生は言う。

「乳がんは5年生存率でいうと9割以上。乳がん患者は母数自体が多いため、怖い病気だと思っている方が多いのかもしれませんが、実はさまざまな治療方法が確立されている病気なのです」

乳がんのタイプによって異なる治療法

乳がんと一口にいっても、そのタイプはルミナルA型(*2)、ルミナルB型(*3)、HER2型(*4)、トリプルネガティブ(*5)と四つに分けられ治療法や投与する薬も変わってくる。

一つ目のルミナルA型は、ホルモン療法(*6)が選択される。

二つ目のルミナルB型はHER2陰性の場合、ホルモン療法に加え化学療法(*7)を用いる。ただし同じルミナルB型でもHER2タイプに分類されると、ホルモン療法、化学療法、分子標的治療(*8)を用いることが多い。

三つ目のHER2型ではホルモン療法は選択せず、分子標的治療、化学療法を用い、四つ目のトリプルネガティブでは化学療法を選択する、というようにタイプによって治療方法がそれぞれ異なる。

「ホルモン剤が効くタイプは乳がん全体の7割くらい。いわゆる抗がん剤といわれる化学療法を用いないケースの乳がんタイプもあります。患者さんの中には『あの人はこの治療をしているのに、なんで私はやらないの?』と不安になる方もいらっしゃいますが、そうではありません。自分がどのタイプの乳がんであるかで治療法が変わるのです。

そのため乳がんにかかった際は焦って間違った治療法を選択するのではなく、まずは落ち着いてご自身の病状や乳がんのタイプを診断してから、治療法を選択していくことが大切です」

乳がんというと、抗がん剤治療は副作用がひどく大変、かかってしまったら今後の出産は諦めるしかない、というイメージも強いが、それについても明石先生は待ったをかける。

「もちろん抗がん剤なので、副作用が全くないわけではありません。けれど吐き気止めの薬なども進化しているので、実際抗がん剤治療を受けた患者さんも『想像よりはひどくない』とおっしゃる方が多いですね。抗がん剤の副作用で閉経してしまうこともありますが、30代前半であれば卵巣が元気なので閉経しない場合もあります。乳がんになったからといって、絶対出産できなくなるわけでもないんですよ。

また、出産を希望しているけれど抗がん剤を使う必要がある際は、受精卵や卵子保存をあらかじめしておくという手段もあります。放射線もおなかではなく胸にかけるので、放射線によって生理が止まることは乳がんの場合ありません。乳がん治療をする際は、その人のタイプに合わせ、治療法のメリット・デメリット含めてあらゆる情報提供をした上で、納得がいく治療法を選択していただくことを心掛けています」

“神の手”と呼ばれる明石先生の手技

国立がんセンター中央病院時代に年間約100〜150例、現病院にて年間約100例弱、これまでトータルで3000例を超える乳がん手術を手掛けてきた明石先生。

難易度の高い乳頭乳輪温存術や、術後の痛み軽減を図る筋膜を残す技術など、次の治療へスムーズに移行するための細やかなケアなど、その腕の高さから“神の手”とも呼ばれている。

しかし「乳癌学会のガイドラインにのっとって治療しているだけで特別なことは何もしていないし、私にしかできない手術なんてない」と明石先生は謙遜する。

「若いときには手術をたくさん経験したくて『手術があったら呼んでください』としょっちゅう言っていました。手術は左手の使い方が大事というのも先輩に教わったこと。左手を添える位置や力加減を意識することで、右手は力を入れなくても電気メスを当てるだけで奇麗に切れていきます。

また乳がん手術の際、大胸筋の表面の筋膜を残してあげると術後痛みを訴える患者さんが少ない、というのも別の先生から聞いた話を参考にしたものです」

乳がん治療は執刀医単独の力だけでなく、チーム医療でのバックアップが大切だともいう。

「乳がんの治療は長丁場になるので、全てを私一人で対応できるわけではありません。形成外科の先生とのコミュニケーションをまめに取ったり、乳がん認定看護師さんに術後のケアをお願いしたり、薬の投与については薬剤師さんに説明を仰いだり、それぞれのプロフェッショナルがチームになって一人ひとりの患者さんと向き合っています」

手術の腕の高さに加え、納得がいく治療方法の提示や術後のケアなどが評判を呼び、全国各地から明石先生を訪ねる乳がん患者が後を絶たない。

乳がんになってしまった際、できることなら明石先生のような高い技術力を持ち、実績のある医師に治療をお願いしたいところだが、病院や医師を選ぶ上で注意すべき点はあるのだろうか。

「乳癌学会の認定施設や乳がんの専門医にかかる方がいいと思います。今は治療法も選択肢が多様で複雑です。メディアやインターネット上でさまざまな情報が飛び交っていますので、正しい情報を提供できる専門医がいる病院を選んでください」

乳がん検診とセルフチェックの重要性

他のがんと比べると乳がんは自分で異変に気が付きやすく、定期的な検診やセルフチェックが早期発見につながるといわれている。マンモグラフィや超音波検査などさまざまな検診があるが、どのような頻度で、どのような検診を行えばよいのだろうか。

「一番手軽なのは触診によるセルフチェックです。お金や時間もかからないですし、副作用もありませんからね。自己触診する場合、生理前はどうしても乳腺がゴツゴツしていてしこりが分かりづらくなるので、生理開始10日後くらい、月1回の頻度で行うのが理想です。毎月触っていると変化があったときに、今までなかったものがあると気付きやすくなります。触診する際は、せっけんやオイルなどを付けて滑りやすい状態にして、指でつかむのではなく、指の腹で押しつける感覚で胸部の広範囲をチェックしてください」

ただし、セルフチェックをしているからといって、検診に行かなくてもいいわけではない。

「だいたいご自身で乳がんに気付かれる際は、しこりが2〜3cmくらいになったときが多いです。乳がんは2cm以下がⅠ期、2cm以上がⅡ期、Ⅰ期とⅡ期を合わせて『早期乳がん』といわれています。Ⅰ期の状態で乳がんを発見するためには、超音波検査やマンモグラフィなど画像検査をしなければ難しいといえます。ただしマンモグラフィも超音波検査もそれぞれメリットとデメリットがあります」

例えば手で触れることができないようなしこりや、石灰化をマンモグラフィでは発見することができるが、
がんも乳腺組織も白く写り込んでしまうため乳腺と比較し、相対的に脂肪の少ない若い女性の場合はがんを見つけにくい。

また、被ばくの問題もあるので、妊娠中・授乳中の女性は検査ができない。そのため若い女性や妊娠中・授乳中の女性の場合は超音波検査が向いているが、こちらは石灰化が見つけにくく、検査中の判断となるため担当技師の検査能力に依存するという懸念点もある。

「20代の乳がんは全体の1%以下で、30代後半になって少しずつ増えてきます。そのためご家族が若くして乳がんになった方や、遺伝性乳がんの方は若い時期から超音波検査やMRI検査を検討するのも選択肢の一つです。ただ、そうでない場合はあまり気にされる必要はないと思われます。

日本人の場合40代後半に乳がんのピークがあるので、40歳になったら毎年検診を受けるようにしていただけたら。マンモグラフィでの被ばく量も技術の進歩でどんどん減っています。他にも乳房専用PET(*9)、3Dマンモグラフィ(*10)などさまざまな検査の選択肢が出てきましたので、その人に合わせた組み合わせで対応するといいでしょう」

ところで乳がんは女性だけの問題ではない。

「乳がん全体の0.5%ですが、男性も乳がんにかかる可能性があります。特に男性乳がんの方は、
遺伝性乳がんの可能性もあるのでご家族で乳がんにかかった人が多い男性は少し気を付けてください。男性は乳腺組織が乳頭の下にしかないので、ご自身で触っても気付きやすいです」

**情報過多な現代だからこそ、
正しい治療を選択できるよう情報発信をしていきたい。**

標準治療はベスト治療 正しい情報の選択を

最後に「乳がんで亡くなる患者をなくすために、明石先生は今後どのようなことに取り組まれたいか?」と投げかけるとこんな答えが返ってきた。

「患者さんが正しい知識を持って正しい選択をしていただくために、講演会や各種メディアで正しい情報を発信していきたいですね。乳がんだと分かったらインターネットで情報を検索される方も多いのですが『糖を取ってはダメ』『牛乳は一滴も飲まない方がいい』『手術はしない方がいい』など、科学的に証明されていないような間違った情報に振り回されている患者さんを多く見かけます」

保険適用外の治療は先進医療だから標準治療よりも優れている、という先入観を持たれがちなことにも明石先生は警鐘をならす。

「『標準治療は標準だから大したことない』と思われる方もいるのですが、標準治療として確立するためには相当な数の実証とエビデンスを積み重ねます。つまり標準治療とは、最低限の治療ではなく、現時点でのベスト治療なのです。これは、保険適用についても同じことが言えます。臨床試験を経て、治療の効果が証明されないと保険適用はされないんです。

加えて言えば、本についても100%正しいことが書いてあるとは言い切れないため、誰が書いたか分からない、エビデンスがない情報は、不安をあおることにつながりかねません。日本乳癌学会でもがん患者さんのためのガイドラインをしっかり出していますので、責任ある人が名乗って書いてある情報を参考にしていただきたいと思います」

乳がん治療の最前線で、患者と真摯に向き合い続けている明石先生の歩みはまだまだ止まらない。

理解が深まる医療用語解説

(*1)BRCA1、BRCA2

誰もが持っている細胞が、がん化することを抑える働きを持つ遺伝子。この遺伝子に変異がある場合は、乳がんの生涯発症リスクが高くなる。

(*2)ルミナルA型

女性ホルモンにより増殖する性質(ホルモン受容体陽性)と、がん細胞の増殖スピードが遅いという特徴を持つ乳がんタイプ。ホルモン療法により女性ホルモンの産出を抑制、あるいは女性ホルモンの作用を阻害することが治療の第一選択となる。

(*3)ルミナルB型

女性ホルモンにより増殖する性質と、がん細胞の増殖スピードが速いという特徴を持つ。ホルモン療法および抗がん剤治療を基本とする。

(*4)HER2型

女性ホルモンにより増殖する性質を持たず(ホルモン受容体陰性)、がんの増殖スピードが速い(HER2陽性)という特徴を持つ。HER2陽性とは、がん細胞の増殖に関わるHER2タンパクあるいはHER2遺伝子を過剰に持っていることを意味する。

(*5)トリプルネガティブ

乳がん全体の約10〜15%を占める三つの陰性(エストロゲン受容体陰性、プロゲステロン受容体陰性、HER2陰性)を持つタイプ。ホルモン療法や分子標的治療は行わず、抗がん剤治療を行う。

(*6)ホルモン療法

ホルモン剤の投与によって女性ホルモンの働きや産出を妨げ、がん細胞の増殖を抑える治療法。内分泌療法とも呼ばれる。

(*7)化学療法

抗がん剤を用いて、がん細胞を破壊する治療法。病状に合わせて数種類の薬を組み合わせて使う場合もある。

(*8)分子標的治療

がん細胞が増殖する異常な性質の原因となっているタンパク質を攻撃する物質や抗体を、投薬によって正常細胞を傷つけないようにする治療法。

(*9)乳房専用PET

PET検査(ポジトロン断層撮影法)と呼ばれ、細胞の働きを断層画像として捉えることのできる検査法。乳房専用PETは乳房を検出器ホールにセットするだけで、乳房を圧迫されることなく検査が可能。

(*10)3Dマンモグラフィ

平面撮影を行うマンモグラフィに対し、3Dマンモグラフィは多角的かつ鮮明に撮影できるため、より精度の高い診断が期待できる。

プロフィール

昭和大学病院 准教授/乳腺外科医
明石 定子

1990年に東京大学医学部医学学科卒業後、東京大学医学部付属病院第3外科へ入局。
国立がんセンター中央病院16あ病棟医長を経て2011年より現職。

日本女性外科医会世話人を務める他、
講演、NHK『プロフェッショナルの仕事の流儀』日本テレビ『世界一受けたい授業』など
メディアも多数出演し、啓蒙活動にも取り組む。

取材先

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