自らの技術を信じ、難関手術に挑み続ける 国宝級テクニックを持つ膵がん手術の重鎮

がんを発症しても自覚症状が現れにくいことから「沈黙の臓器」と呼ばれる膵臓。
そのため早期発見が難しく、医療が進歩した現在も5年生存率は8%程度にとどまっている。

抗がん剤治療は確実に進歩しているが、依然として手術以外に決定的な治療法はなく、膵がんは「最も治療が難しいがん」として私たちの前に立ちはだかっている。

膵がん手術の現場に、一条の光が差し込んだのは1981年のこと。
それが中尾先生による「門脈カテーテルバイパス法(※1)」という新たな手術方法の開発だ。

世界をあっと言わせたこの術式により、不可能とされてきた進行膵がんについても根治の可能性が見出された。
その後もメセンテリック・アプローチ(Mesenteric approach ※2)など、さまざまな手術方法を開発してきた中尾先生は、現在も膵がん患者の最後の砦として手術室に立ち続けている。

自ら「私が膵がん手術の歴史そのもの」と語る先生に、膵がん治療の現在地と未来について伺った。

“門脈には手を出すな”―不可能とされた膵がん手術

膵がんを「最難関がん」たらしめる理由はいくつかある。 そのうちのひとつが、早期発見の難しさだ。

例えば胃がんであればピロリ菌が、肝臓がんであればB型肝炎・C型肝炎ウイルスが危険因子として知られています。
しかし膵がんについては、どういう因子を持つ人に発症リスクがあるのかがまだはっきりと分かっていません。

だからといって年間の罹患者数約4万人の疾病に対し、国民すべてにCTやMRIを使った検査をするのは現実的ではありません。
膵がんに特化した人間ドックなど早期発見の方法がないわけではありませんが、まずはどのような因子を持つ人を検査すればよいのか分からないことが早期発見を難しくしています。

もうひとつの特徴が進行の早さだ。黄疸や糖尿病の悪化など、目に見える症状として現れたときには、すでに手の施しようがなくなっている場合が多い。
さらに膵臓には門脈という大きな血管が通っているためがんが浸潤しやすく、血管に複雑にまとわりついたがんの切除は困難を極める。

膵臓は胃の裏側に位置する横長の臓器です。膵臓の周辺には胃や腸などの消化器官が集まっていて、これらの臓器から出た血液を肝臓へ運ぶ「門脈」という大きな静脈が膵臓を貫く形で通っています。
この門脈にがんが浸潤しやすいため、進行膵がんの手術では膵臓の摘出だけでなく、門脈まわりの手術を併せて行う必要がありました。

しかし、この門脈には1分間あたり約1リットルという大量の血液が流れています。門脈に浸潤したがんを切除するために門脈の血の流れを止めてしまえば、全身の血液が腸に集まってうっ血します。たとえそれがわずかな時間であったとしても腸組織の壊死や大出血の危険があるため、おいそれと触ることはできません。
私が学生だったころには「門脈には手を出すな。門脈にがんが浸潤していたら諦めろ」と教えられたほどです。

中尾先生が20代だった当時は、門脈へ浸潤した膵がんの切除は不可能とされていた。しかしこのとき、氏はすでに安全な門脈切除術の確立を思い描いていた。

1973年に名古屋大学医学部を卒業した後、私は7年間にわたり関連病院で修練を積みました。

消化器外科医としての手技を習得するため多くの手術を経験しましたが、そのころはCTなどの優れた画像診断機器はありませんでしたから、お腹を開けて初めて膵がんが門脈に浸潤していることを知るわけです。門脈への浸潤が見られれば、開腹後でも手術は中止せざるを得ませんでした。しかし私はそのころから頭の片隅で考えていました。

「そんなことはないはずだ、門脈を安全に切り取り再建する術を見つければ、切除できるがんもあるはずだ」と。
私は大学に戻り次第、すぐにこの門脈の安全な遮断や切除についての研究を開始しようと心に決めました。やがてこの研究は「門脈カテーテルバイパス法」という新しい術式として結実します。

常識を覆し、世界が認める術式の開発に成功

門脈遮断は15分が限界とされてきた中、 この中尾先生が開発した門脈カテーテルバイパス法が、門脈遮断を時間的制約から解放し、長時間にわたる手術を初めて可能にした。

門脈にうっ血した血液をまた別のルートで心臓にかえすようにすれば、うっ血は取れて、全身状態を長時間にわたって安定させたまま手術ができる。
その構想をもとに民間の研究者たちと高い抗血栓性を持つカテーテルを共同開発し、手術中の門脈血を体循環や肝内門脈にバイパスさせることで、門脈に浸潤した膵がんの切除手術を可能としました。

1例目の臨床が1981年。「門脈には触るな」が当たり前だった時代に登場したこの画期的な術式は、一躍世界的に注目を集めることになる。

発表後、国内外から大反響を呼びました。手術の様子を記録するため、当時はビデオなんてありませんでしたから、映画で使うフィルムを用いた撮影もされたほどです。
膵がん治療に光を差す研究ということで、私が所属する研究室には多くの若いドクターが集まるようにもなりました。

この術式の開発を可能にしたのは、もともと消化器系の手術に強い国柄もあったという。

日本では昭和20年代以降、まず胃がんの手術が最初に確立されて、昭和40年から50年にかけて肝臓や胆管、膵臓の手術が確立されていったという歴史があります。
私が駆け出しだった当時から日本は世界で最もこの分野の手術が進んでいる国で、その技術がベースにあったからこそ生み出せた術式であると思います。

これまでに経験した症例数は1,500以上。パイオニアとして今も技術を磨く

門脈カテーテルバイパス法の開発により、膵がん治療に新たな可能性を拓いた。
しかし本番はここからだ。とにかく手術の数を経験することでしか、この難手術の技術向上は望めない。

この手術を始めてから40年余りが経ちますが、私がこれまでに手がけた症例数は1,500を超えます。
このうち560例が門脈切除を伴う手術で、現在も年間50例以上を執刀しています。これは世界的に見ても異例の症例数です。

消化器の中でも膵がんや肝臓がんなどの難しい手術は、症例数の多いハイボリュームセンター(※3)で行うよう『膵癌診療ガイドライン』で推奨されている。
国内屈指のハイボリュームセンターである中尾先生が院長を務める病院には、毎日多くの患者が訪れるという。

やはり私がつくったものは私が進化させなくてはいけませんからね。73歳の現在も毎週手術を行っています。
先日の手術も10時間ほどかけて行いました。毎回手術を終えると精根尽き果てる思いをしますが、まだまだ技術が向上している実感がありますし、まだうまくなれると確信しています。

手術中は「ここは気をつけなければいけない」「ここには手を出してはいけない」と一つ一つ注意すべきポイントを声に出しながら進めていくのですが、それは過去に苦い思いをたくさんしてきたから。
世界のどこにも手本がない挑戦を積み重ねてやっとここまで来たんです。

特殊な技術が蓄積されたこの病院で扱うのは、他の病院で打つ手がないと診断された膵がん患者が多い。
そのため、中尾先生が手がける手術は厳しいものばかりだという。

この手術の難しさは、繊細な血管処理が求められる点にあります。
人間のお腹の上の方には、肝臓や脾臓、胃、膵臓などを養う腹腔動脈があり、その少し下には上腸間膜動脈という腸をすべて養う血管が走っています。

門脈をはじめ、これら重要な血管が集まる場所に膵臓は位置しており、手術では膵臓の摘出とともにこれらの血管に浸潤したがんをすべて取り除かなくてはいけません。
複雑に入り組んだ血管を傷つけることなく、一本一本きれいにしていくのは至難の業です。こればかりは豊富な経験と高い技術がないことにはできません。

中尾先生を頼ってくるのは患者だけではない。
この技術を身につけたいと見学を申し込む医師も後を絶たず、国内外から訪れている。

私の手術が見たい、この術式を身につけたいと国内外の医師が見学に訪れます。
もちろん私は自分の手術手技をより多くの若い医師に継承していきたいと考えていますが、これは多くの症例を経験することでしか習得できない難しい手術です。

手術を見学するだけで技術の向上を望むことはできません。何より重要なのは実践を重ねて技術の底上げを図ること。
症例数を重ねることができる病院は限られているため、技量を向上させるにはハイボリュームセンターなどで研鑽を積むほかはないでしょう。

膵がん治療の現在地―抗がん剤で「手術不可」を「手術可」に

中尾先生による門脈カテーテルバイパス法が発表されてから40年が経った。
この間、膵がんの治療は前進したといえるのだろうか。

40年前は抗がん剤の開発も進んでいなかったこともあり、私の手術が始まる前は膵がんの診断から3カ月〜半年程度しかもたない患者さんがほとんどでした。
現在も決定的な効果が期待できる抗がん剤は出ていませんが、この10〜15年くらいで進化を遂げ徐々に予後は改善されてきています。

現在は切除可と切除不可の境界線上(ボーダーライン)にいる患者さんに対し、抗がん剤治療と並行しながら、がんが小さくなった頃合いを見計らって手術で切除する方法も検討できるようになりました。
こういった治療の選択肢が増えたことは大きな変化だと思います。昔は抗がん剤もなく手術もできなかったため「見つかったら終わり」の病気でしたから。

技術の向上に伴い、膵がん手術の安全性は高まったといえるのだろうか。

取り組み始めた当初は技術的な壁にぶつかることもありましたが、この40年で手術は本当に安全にできるようになりました。
がんの手術で最も気をつけなければいけないリスクが合併症ですが、研究が進んだ現在も膵がん手術では術後合併症による死亡が、全国平均で3%程度起きています。

胃がんと大腸がんでは0.3%程度であることから、依然難しい手術であることに変わりはないということです。

膵がんの根治は手術をするほかないが、手術のできる病院・医師は限られている。

患者さんに無謀な手術を行って命を落とさせるわけにはいきませんから、担当医は自身の技量と『膵癌診療ガイドライン』に沿って治療方針を決定します。
中でも手術による治療はできないと診断された方が、私のセカンドオピニオンを求めて来院されることが多いです。

診断の結果、やはり「手術は困難である」という結論になってしまう患者さんもいますが、一方で「私ならば手術による治療が可能だ」という患者さんもいらっしゃいます。
つまり、膵がん手術はそれだけ医師の技量に左右される治療方法なのです。

そのため、手術可能かどうかは私自身による判断が不可欠なので、セカンドオピニオン外来では私自身が患者さんとじっくり向き合って話をするようにしています。

最重要課題とされている早期発見についてはどうか。少しずつでも進化はしているのだろうか。

CTの登場で鮮明な画像を撮れるようになり、診断技術は飛躍的に向上しました。診断の段階で、どの部分にがんが食らいついているか詳細につかめるようになったのです。
ですが、肝心要の「どうやって早く見つけるか」という部分の研究がなかなか進まないので、早期発見の難しさという面では昔と基本的に変わっていません。

抗がん剤のおかげで確かに予後はよくなってきています。手術も以前は対応できるだけの技量を持つ医師が少なかったですが、私たちの啓蒙などにより少しずつ広まってきています。
膵がん治療全体としては着実に進歩していますが、やはり一番の問題はいかに早く診断するか。膵がん治療の未来はここにかかっています。

膵がん治療の未来に望む早期発見方法の確立

最後に、膵がん治療のこれからについて聞いた。

今の日本のがん死亡者数で最も多いのが肺がんで、次に大腸がん、胃がんと続きます。
大腸がんや胃がんの診断技術や治療法の進歩に伴い死亡者数が年々減っているのに対し、現在4位の膵がんは今のところ早期発見技術も決定的な治療法も確立されていません。

今後も膵がん患者数は増え続けるだろうと思われますし、近いうちに3位になると見込まれています。
膵がんの治療は、がん領域に残された最後の課題になるといえるでしょう。

この状況は日本だけでなく、世界的にも同じなのだろうか。

海外ではやや抗がん剤治療が多い印象はありますが、膵がん治療を取り巻く状況は海外も日本も変わりません。
私はもちろん海外での手術も経験していますが、現地の医師には日本で行われているような細かい手術は難しいようですね。

私の手術の映像を見せたりすると、皆さん驚かれます。ここまで細かく丁寧に血管処理をやるのかと。
日本では胃がんの手術がベースとなって、開腹によるがん手術が確立されてきました。
アメリカでは胃がんが少なく、膵がんと同じで見つかったときには取れないというケースが多い。

日本は胃カメラによる検査を受ける機会が多いでしょう? だから早く見つけることができます。大腸がんも同じです。
こんなに内視鏡検査をやっている国は、日本以外、世界のどこにもありません。
将来こういう取り組みが膵がんでも行われるようになるといいのですが、まだまだ課題が多いと言わざるを得ません。

この先、膵がんが“治しやすいがん”になる日はやってくるのだろうか。

尿や血液の検査で膵がんが診断できるようになるといいですよね。
CA19-9(※4)など腫瘍マーカー検査はありますが、まだ決定的とはいえません。

もちろんさまざまな機関で研究が進められていますが、なかなか難しいようです。
そういうところから早期発見につながる技術が確立されればすばらしいと思います。

理解が深まる医療用語解説

※1)門脈カテーテルバイパス法

肝臓に流れこむ門脈血をカテーテルで別の流れに変えることにより、長時間にわたる門脈遮断を可能とし門脈合併切除再建を伴う膵がん手術を可能にした術式。他の肝胆道系手術への応用も期待されている。

※2)メセンテリック・アプローチ

これも中尾先生が開発した術式。これにより手術中、膵がんに触れることなく安全にがんに到達できるようになり、出血を抑えるとともに他部位への転移を予防し根治につなげるというもの。

※3)ハイボリュームセンター

外科手術の症例数と治療成績は比例するという調査結果から、生命に関わる難しい手術は高い専門性をもつハイボリュームセンターで受けることが推奨されている。

※4)CA19-9

がんの進行とともに増加する特異なタンパク質を調べる腫瘍マーカー検査の一種。膵がん、胆嚢・胆管がんで特に高い値を示す。

プロフィール

名古屋セントラル病院
院長
中尾 昭公(なかお あきまさ)

プロフィール
名古屋大学医学部卒業後、関連病院で修練を積み消化器外科医の道へ。

研究室に戻った後、「門脈カテーテルバイパス法」「メセンテリック・アプローチ」などの術式開発に成功する。
その後は肝臓移植術習得のための渡米を挟み、名古屋大学医学部で助手、講師、助教授、教授を歴任。
現在は名誉教授となっている。

2019年、日本では17人目となるアメリカ外科学会の名誉会員となった。

1973年 名古屋大学医学部 卒業
1973年 一宮市立尾西市民病院(現・尾西記念病院) 外科 研修
1975年 岐阜県立多治見病院 外科 勤務
1980年 名古屋大学医学部 第二外科 肝臓研究室(肝・胆道・膵外科)所属
1983年 名古屋大学医学部 第二外科 文部教官助手
1987年 名古屋大学医学部 第二外科 文部教官講師
1989年 米国ピッツバーグ大学 外科 留学
1990年 名古屋大学医学部 第二外科 文部教官講師 復職
1992年 名古屋大学医学部 第二外科 助教授
1999年 名古屋大学医学部 第二外科 教授
2006年 名古屋大学大学院 医学系研究科消化器外科学 教授
2011年 名古屋大学大学院 医学系研究科消化器外科学 教授退任
2011年 名古屋セントラル病院 院長

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