補助療法による臨床研究・試験に取り組む

難治性がんの代表の一つとされる膵がん。

しかし近年、研究が日進月歩の勢いで進んでおり、膵がんの予後は大きく変わってきている。今回は膵がん切除の第一人者として沈黙の臓器と闘い続ける上坂克彦先生の元を訪ね、話を伺った。

最前線に立つ医師が見据える膵がん治療の未来とは―。

膵がん根治には、手術で取りきることが唯一の道。
手術が「できない」から「できる」にするベストを尽くす。

膵がん治療を変えた画期的な研究

胃の真裏にあたる体の深部に位置し、複雑に入り組んだ血管や肝臓、胆のうといった臓器に囲まれている膵臓。5年生存率が1割を切る膵がんの手術はその複雑な血管をつないだり、十二指腸や胆管、胃の一部を切り取った場合には再建手術が必要となるため卓越した手技が求められ、手術時間も6~8時間、ときには10時間を超えるなど消化器外科手術の中で特に難度が高いといわれる。

1年間の膵切除件数が、約160症例と全国でもトップクラスの手術数を誇る静岡県立 静岡がんセンター。同センターの副院長兼 肝胆膵外科部長を務めるのが上坂克彦先生だ。全国で640名(2016年12月時点)しか認められていない「高度技能指導医」(*1)でもある。

そんな上坂先生が代表を務め、膵がん治療を変えた画期的な研究として知られるのが「JASPAC01」(*2)だ。「JASPAC01」は、日本発の抗がん剤〈S-1〉と従来の標準治療薬〈ゲムシタビン〉とを膵がん切除後の補助化学療法(*3)に用いて、それぞれの治療成績を比較した臨床試験である。同研究によると〈S-1〉を服用した患者グループの5年生存率は44.1%に上り、〈ゲムシタビン〉を投与したグループの24.4%を大きく超えた。

上坂先生は当時の衝撃を振り返る。

「中間解析の時点で、第三者機関である効果・安全性評価委員会からデータに誤りがないか再確認するよう通達があったほどです。私も最終結果を見たときは、にわかに信じがたいというか、のけぞるほど驚きました。膵がんの術後に〈ゲムシタビン〉を使うと、再発率が下がることは分かっていました。

しかし〈ゲムシタビン〉は注射用製剤であるため、患者さんにとって負担の少ない飲み薬である〈S-1〉を試してみようと考えたのです。

当初は〈S-1〉の優越性を期待するより、〈ゲムシタビン〉に対する非劣性(遜色ない効果)を確認する目的でしたが、これほど大差が付くとは予想外でした」

「JASPAC01」で得られたエビデンスを基に2013年10月『膵癌診療ガイドライン』が4年ぶりに改訂され、再発予防のための術後補助化学療法については、〈ゲムシタビン〉に代わり〈S-1〉を第一選択薬として半年間服用する治療が推奨された。また、最終の研究成果は2016年、世界的医学雑誌『ランセット』に掲載された。

「ほんの十数年前は一つの病院で術後の5年生存者が10人もいればいい時代でしたが、今や長期生存が珍しくありません。私の外来には、術後5年以上経過した方はざらにいらっしゃいます。ただし、切除できればの話です」

一人でも多くの患者を「切除可能」に

「外科切除は根治が期待できる唯一の治療法ですが、膵がんは見つかった時点でステージが進んでいる場合が多く、手術できる患者さんは2~3割ほど。この率は20年前から変わっていません」

上坂先生は早期発見の難しさを複合的な要因と話す。

「そもそも検査が難しく、造影剤が入っていなければCTを撮っても闇夜にカラスのよう。造影剤を入れるにしてもタイミングや量など詳細な手順が必要ですし、それをもってしても見つからないこともあります。進行も速く、発見から1カ月の間に手遅れになることもよくある話なんですよ」

早期がんという概念がないとも考えられる膵がん。

がんと確定されたのち、今後の治療方針を決定する新たな指標「切除可能性分類」が「膵癌取扱い規約 第7版(2016)」にて提唱された。

膵がんの場合、がん自体の周囲への広がり(T因子)、リンパ節への転移(N因子)、遠隔への転移(M因子)の状態が検討され、組み合わせによって病期は0~Ⅳに分類される。

これらの病期に加え「切除可能性分類」では、手術によって肉眼的にも組織的にも病変を取り除くことができるかどうか、周囲の重要な血管との位置関係を基準に「切除可能」「切除可能境界(ボーダーライン)」「切除不能」に分ける。

「早期発見する方法が確立されていない以上、病態が進んだ患者さんをできるだけ切除可能な方へと考えるのは当然の流れ。ボーダーラインを見極めるのは非常に難しいですが、私はあきらめたくない」

近年は、ボーダーライン膵がん(*4)に焦点を当てた臨床試験「JASPAC05」や「07」も進められている。

「がんが主要な動脈に接している場合、取り除こうとするとがんを無理やり剥がすことになるため、
目に見えないがん細胞が血管壁に残り、術後のがん再発につながってしまう。
結果、ボーダーラインの患者さんでは手術をしても予後が悪くなるケースが多いのです。

そうした中、米国MDアンダーソンがんセンターが切除可能境界の患者さんを対象とした術前の放射線療法や抗がん剤治療が有効であると複数の研究で証明しました。つまりすぐに手術するのではなく、あらかじめがんを弱らせることでボーダーラインであっても根治切除できる可能性が大きく広がることが示されたのです。

こうした結果を受け、日本でもボーダーラインの患者さんに対する術前治療の検討をしっかり進めていくべきとの声が高まりました。『JASPAC05』はボーダーラインと判断された日本人患者50例を対象に、術前に〈S-1〉と放射線治療を併用することによって、その治療成績を明らかにしようというものです。


この試験によって、ボーダーライン膵がんに〈S-1〉を併用した放射線治療を行うと、その約6割がきちんと切除できることが明らかになりました。さらに、切除可能膵がんの術前治療として抗がん剤治療単独、抗がん剤+放射線療法のどちらのアプローチが有用かを検討した『JASPAC04』の研究結果を、2020年1月に開催された米国臨床腫瘍学会消化器がんシンポジウムで報告しました。

より良い術前治療ができれば、手術をあきらめていた方も手術が適応になる可能性が広がります。そして根治切除が叶えば、膵がんが完治するチャンスも大きくなるのです」

発症リスクについて、知っておきたい三つのこと

膵がんにかかる原因は明らかになっていないとはいえ、高リスク因子は存在する。大量飲酒や喫煙といった生活習慣が危険因子であることはもちろんだが、次の三点は知っておいてほしいと上坂先生は言う。

「まず、新たに糖尿病を発症したり、すでに糖尿病の人は血糖値コントロールが急激に悪化したときは
膵がんを疑って受診した方がいいですね。膵嚢胞(*5)がある方も要注意です。いろいろな種類の嚢胞がありますが、発見された場合は定期的に検査することをおすすめします。そして家族性・遺伝性の膵がん。家族性膵がんとは、血縁者に膵がん患者がいる家系で発症した膵がんのこと。親や子、兄弟姉妹に2人膵がん患者がいると、もう1人膵がんにかかるリスクが約7倍となります。


遺伝に関係して発症する膵がんが全体の何%を占めるかは研究者によって意見が分かれますが、がんの発症に特定の遺伝子の変異が関わっている一群があることは知られています。

以前、女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが遺伝子検査を受けた結果、将来の乳がんリスクを低減させるために乳房を切除したニュースが話題となりました。がん抑制遺伝子の一つであるBRCA1/BRCA2に生まれつき異常があることが原因ですが、近年、この遺伝子変異が一部の膵がんにおいても検出されています。

遺伝に関係するというのはいろいろな意味で注目すべきことで、実は治療にも影響してくるんですよ。
最近、特定のがん関連遺伝子をターゲットにした『分子標的薬』と呼ばれる薬剤の開発が急速に進められていますが、BRCA膵がんに効果を発揮する2種がすでに判明しています。

当センターも2019年9月にがんゲノム医療拠点病院として国に指定されており、今後も遺伝子レベルでがんの特徴を捉え、最適な薬や治療法を探るゲノム医療はさらに進展していくでしょうね」

日本膵臓学会は、家族性膵がん家系および一定の膵がん家族歴を有する方を対象に登録制度を開始。静岡がんセンターをはじめ全国にある八つの施設で登録を受け付けている。この登録制度を利用して新しい治療法やゲノム解析、早期診断マーカーの開発などが計画されている。

まっとうなところほどマイナス面も掲載

2017年の全国人口動態統計によると膵がんは、肺がん、大腸がん、胃がんに次いで死因の第4位となっており、年間3万人以上が亡くなっている。

もし自分自身や家族、友人が膵がんと診断された場合、信頼できる情報や治療、医療機関にたどり着くために、どのような点に気を付けるべきなのだろうか。

「ネット上には情報が溢れかえっており、中には迷信の類やお金儲けとしか思えないものもあります。
切羽詰まっていると信じたいものを信じてしまう気持ちは理解できますが、まっとうなところほど副作用やデメリットなどマイナスの情報を掲載し、怪しいところほど『治る』や『消える』といった耳障りのいい言葉が並んでいます。食事で治るならがんセンターは要らないわけですから、情報を読み取る際にはこうした点に留意していただきたいと思います。

講演でよく話すのは、保険に収載されている治療がベストということ。患者さんの中には『私にはぜひスペシャルな治療を』とおっしゃる方がおられますが、標準治療は「並」ではなく、エビデンスに基づいた最善最良の医療。


欧米では富裕層しか使えない薬でも、日本では効果が科学的に証明されていれば保険適用が認められます。粒子線治療(*6)、免疫療法(*7)についてもよく尋ねられますが、例えばオプジーボ(*8)は膵がんには効果が認められていません。

先進医療は将来の有望な治療法として医療を支える可能性を含んでいます。ただ、保険適用を検討している段階の医療であることを忘れてはいけません。となると、おのずと答えが出てくるのではないでしょうか」

手術をするなら症例数が豊富であることも判断基準の一つだ。『膵癌診療ガイドライン2019年版』でも「手術例数の多い施設で外科的治療を行うことを提案する」となっている。

日進月歩の膵がん治療

最後に今後の膵がん治療の展望について伺った。

「10年前には術後の5年生存率が10%だったのが〈ゲムシタビン〉を組み合わせることによって20%台になり、〈S-1〉に替えると40%台へと大きく改善されました。ステージⅣで『切除不能』と判断された患者さんでも抗がん剤が奏功し、がんを取り切れる進行度まで戻って(ダウンステージ)、切除手術に切り替える事例も増えています。

昨年には東北大学が切除可能膵がんにおける術前化学療法の有効性を証明し、新たな標準治療としてネット版の診療ガイドラインに反映されました。手術の前後に化学療法や放射線療法を組み合わせるこれら集学的治療により、膵がんの治療成績は確実に良くなりつつあります。

外科医の身としては手技そのものが今まで以上に洗練され、手術できる患者さんがより多くなり、
現役のうちに術後5年生存率50%の声を聞きたいですね。いや、その時代は数年以内に来ますよ」

理解が深まる医療用語解説

(*1)高度技能指導医

日本肝胆膵外科学会が定める制度で、
消化器外科専門医または指導医の資格を保有、
肝胆膵外科診療に指導的立場で従事し、
高難度肝胆膵外科手術を100例以上行った経験を持つ(指導的助手も含む)。

(*2)JASPAC

静岡がんセンターを中心とする膵癌補助化学療法研究グループ。
研究内容によって数字が異なる。

(*3)補助化学療法

手術に加えて、がんの再発や転移の危険性を減らす目的で行われる抗がん剤治療。

(*4)ボーダーライン膵がん

遠隔転移がないものの、
静脈系(消化管と肝臓を結ぶ門脈など)や動脈系(肝臓や膵臓に血液を運ぶ腹腔動脈など)に軽度の浸潤、接触が見られるものを指す。

(*5)膵嚢胞(すいのうほう)

膵臓の内部や周囲にできる、
さまざまな大きさの袋状になっている「液体のたまり」。

(*6)粒子線治療

放射線治療の一つで、
水素や炭素の原子核といったミクロの粒子を用いるのが特徴。

元素の中で最も軽い水素を用いる場合は陽子線治療、
それよりも重い粒子を用いる場合は重粒子線治療と呼ばれる。

(*7)免疫療法

生体に本来備わっている免疫機能を操作・増強することで、
治療効果を上げようとする治療法。

(*8)オプジーボ

人体が本来持っている免疫機能を用いて、がん細胞を攻撃させる治療薬。
2018年のノーベル医学・生理学賞によって注目された。

プロフィール

静岡県立 静岡がんセンター
肝胆膵外科部長
上坂 克彦 (うえさか・かつひこ)

1982年に名古屋大学医学部卒業後、愛知県がんセンター、名古屋大学第一外科を経て、
2002年に静岡県立 静岡がんセンター 肝胆膵外科部長に就任。
2011年からは副院長、
現在はRM・QC(リスクマネジメント・クオリティコントロール)室長も兼任する。
愛知県豊田市出身。

取材先

今回はこちらを訪れました!

静岡県立 静岡がんセンター
〒411-8777
静岡県駿東郡長泉町下長窪1007番地
TEL 055-989-5222