「はやい、やすい、うまい」をモットーに。 国内最高峰の心臓血管外科医が見据える医療

人生100年時代を迎えるにあたり、私たちはどのように自分の心臓と向き合うべきだろうか。

今回は心臓血管外科医として名高い、順天堂大学医学部附属順天堂医院の天野篤氏の元を訪ね、 心臓との向き合い方について話を伺った。

患者として医師を選択することの重要性

心臓を動かしたまま行うオフポンプ手術(*1)は、 2012年2月に天皇陛下が受けられた手術として国民の間に広く知れ渡ることとなる。 全国が注視する中、 東京大学医学部附属病院と順天堂大学医学部附属順天堂医院の合同チームが臨んだこの手術の中心に立っていたのは、 私大医学部出身の医師だった。

異例中の異例といえるこの抜擢に、高い技術力で応えたのが順天堂医院前院長天野篤氏だ。 オフポンプ手術は難易度が非常に高く、医師の技量が問われる手術である一方、 低侵襲(*2)で術後の回復が早いというメリットが広く認められ、90年代半ばから急速に症例数が増加している。 その中でも、天野氏がこれまでに執刀した手術は8000例を超え、 その成功率は死亡率の高い緊急手術も含めて98%以上を誇る。

日本の心臓血管外科手術の治療成績は世界的に見ても高水準だが、 この数年で医師の技量が大きく上がっていることも症例数が増加している要因なのだろうか。

「医師の技量が上がったとは感じています。 しかし、オフポンプ手術には明確に技量の差があることも事実です。 ゴルフに例えるならば、世界を舞台に戦うプロと、 少しできる程度のアマチュアが同じ道具、同じルールでラウンドすると、 それは等しく『ゴルフ』と呼ばれますが、内容には明確な差が出ます。 オフポンプ手術も同じで、執刀医によってレベルの差ははっきりとあります。

患者さんは高い技術を持つ医師を見極め、選択する必要がありますが、 心疾患が原因で救急搬送されるような事態に陥った場合、 医師を選択するような時間的猶予はありません。

つまり、自身で医師を選択できる状況にある間にしっかりとした診断を受け、 医師の選択を考えておくことが重要です」

どのような基準で医師を見極めるべきか

患者として医師を選ぶということは、生死を分ける手術であればことさら重要な選択になる。 昔は口コミの評判をもとに病院や医師を探す手段しかなかったが、 現在ではインターネット上に治療実績や症例数を公開していることも多く、情報入手のハードルは低くなった。

しかし、あらゆる情報を精査しながら、 自分が納得できる病院や医師を探すためには、患者にも高い医療リテラシーが求められるということだ。

「治療情報を細部まで公開しているかどうかは、医師を見極めるポイントになります。

たとえば、その医師が治療した患者さんが5年後、 10年後にどのような状態であるかという遠隔成績(*3)まで公開しているかどうかなど。 術後の経過も良好であれば、うまい手術ができているということですね」

天野氏が心臓血管外科医療において重視しているのは、 術後も問題なく動き続ける「100年を生きる心臓」と向き合うことだと語る。 医療の進歩によって私たちの平均寿命が大きく延び、 人生は100年を生きることが当たり前となる時代は目前に迫っている。

そんな時代を迎えようとしている中で、 天野氏の目指しているのは「110歳までトラブルなく生きられる心臓手術」だと言う。

人生100年時代の心臓との向き合い方

人生の始まりから終わりまで休むことなく動き続ける臓器である心臓。 健康寿命の延伸を考えるとき、 心臓との向き合い方を深く考えることは避けられない。 心臓の異変や異常について私たちはもっと知る必要があるといえる。

「弁膜(*4)や血管に先天性の構造的異常がある場合、 どの時点でどのような症状となって現れるのか注意する必要があります。 例えば、新生児期から小児期までは、 チアノーゼ(*5)や体育の授業についていけないなどの症状が心臓の構造的異常のサインです。 また成人後は動悸、息切れ、健康診断で心電図の異常を指摘された場合も注意が必要です」

先天性の異常がなくとも、生活習慣病から心疾患へとつながるケースも多い。 医療は確かに進化を続けているが、 物質的に豊かになったことで現代を生きる私たちは生活習慣病にかかる多くのリスクを抱えることにもなった。

生活習慣病は動脈硬化(*6)を引き起こし、 突然死の原因となる心筋梗塞にもつながる病だ。 天野氏は致命的な心筋梗塞は動脈硬化が出来上がる手前の段階で起きることが多く、 予兆を感じにくい症状だと語る。

「とはいえ、動脈硬化も突然になるわけではなく、 何かしらの素因が引き起こしている症状です。 動脈硬化の素因として考えられるのが、 タバコ、高血圧、高コレステロール、糖尿病の四つです。 こうした素因を抱えないことも、 心臓との向き合い方として大切な姿勢と言えるでしょう」

常に動き続けることが当たり前の機能である心臓だからこそ、肝臓や胃という臓器と異なり、 私たちはこの臓器との向き合い方を今まであまり意識してこなかったかもしれない。 健康に100年の人生を過ごすためには、 日々の生活の中に潜む心臓へのリスクを意識していくべきだろう。

最先端医療が最良の選択肢とは限らない

2018年4月から、新たに12件のダヴィンチ手術(*7)が健康保険の適用となった。 12件のうちのほとんどは、がんに対する手術だが、 心臓血管外科の領域では「胸腔鏡下弁形成術(*8)」が対象となった。 技術の発展によって医療の選択肢は広がりを見せているが、私たちはどのように治療方法を選択していくべきなのか。

「低侵襲医療を実現するダヴィンチですが、 開胸手術ではできないような手術も可能という間違ったイメージを持たれている方もいます。 実は、開胸手術でできないような手術は、 ダヴィンチでもできないことがほとんどです。

将来的に技術が進展し、 AIによるアシストなどで従来ではできなかったような手術ができる可能性はありますが、 コストの面ではまだまだ高額な医療です。私は‶やすい“ということを非常に重要視しています。 高額な医療コストは日本の保険診療を圧迫し、社会問題にもなりかねません」

技術的進展により治療の選択肢が今後増えていくことは確実視されているが、 イメージだけで安易に先端医療を選択するのではなく、どのようなリスクがあるのか、 どのようなメリットがあるのかを見極める目がますます重要になってくるだろう。  

誤解されているセカンドオピニオンの意味

医療における選択肢が多様化する中、 セカンドオピニオン(*9)もますます重要性が増していくだろう。 セカンドオピニオンを聞くことで、患者は自身が受ける治療に納得感を持って臨むことができる。 しかし、別の治療方針を探すためのセカンドオピニオンを希望する患者も多く、 天野氏は警鐘を鳴らしている。

「セカンドオピニオンの本来の目的は最初に提示された治療方針に対する意見を聞くことです。 つまり、最初の病院が出した治療方針に対して、 どのようなことに気を付けるべきか、その病院ではどのようなレベルの治療を受けることができそうかなどを、 セカンドオピニオンで訪れた病院の先生から聞く必要があります。 その上で患者さんが納得できなければ、別の病院での治療ということになりますが、 自分の病院で治療することを前提にした意見は、 セカンドオピニオンではなく別のファーストオピニオンでしかありません」

選択肢が増えることは患者にとってメリットをもたらすが、 治療方針を正しく選ぶことができるかどうかという視点を忘れてはならない。 医療テクノロジーが日進月歩で進化をしている現在、私たちも医療を見る目を養う必要があるだろう。

天野氏が思う名医の条件とは

医師として確固たる地位を築いた天野氏。
しかし、まだ自分はまだ名医ではないと語る。

「私の考えですが、名医というのは歴史の中で評価される医者であって、 生きている限り名医になることはありません。 自分が残してきた治療実績の結果、あの医者は名医だったと語られる存在でありたい。

だからこそ、名医は目指すべき姿であり、 生きている限りたどり着くことのないゴールなのだと思います。 名医になるための道は医者である限り続くので、私は日頃から名医を目指せと言っています」

医師を1人育成するには1億円以上の教育経費がかかるとされている。 その費用は全て学費から捻出されているわけではなく公費も含まれるため、 医師としての社会的使命感を持っているかどうかは非常に重要だ。

医師として重要な素養は社会から受けた恩恵を世の中に返そうという思いと、 自分の持つエネルギー量を考えることなく患者さんを治療しようという情熱を持っているかだと天野氏は語っている。 驚異的な症例数の多さと、困難な手術だからこそ、 自身の持つ技術で応え続けている天野氏の言葉には重みを感じる。

患者さんが持つ思いに応えることができる医者でありたい

当たり前のことではあるが、どんな医師も無名である時代を過ごす期間がある。 しかし天野氏の元には、無名だった頃からその技術を期待され、多くの紹介状が届いたという。

「私が若かった時代はまだインターネットも発達していなかったので、 評判を聞いて患者さんを紹介していただいたのだと思います。 この一症例は、将来の百症例、千症例につながっているという思いで誠実に執刀してきました。

無名であれ、有名であれ、医者の姿勢として一人一人の患者さんに正直に向き合えているかどうか。 患者さんが持っている家族や背景にも思いを持って接することができるかは大事なことだと思います」

確かな技術を持ち、患者の将来や人生に寄り添うという医者のあるべき姿を体現している天野氏。 心臓血管外科医療の第一線に立つことへの、覚悟の強さを感じさせられた。

理解が深まる医療用語解説

(*1)オフポンプ手術

心臓を動かしたまま人工心肺を使わない方法で行う手術。 体への負担が少なく、冠動脈バイパス手術では主流の術式になっている。

(*2)低侵襲

「侵襲」とは、治療に伴い体にとって負担や害になること。 低侵襲治療とは、その負担をできる限り低く治療すること。

(*3)遠隔成績

治療後の5年後、10年後の生存率を表すもの。 生存率が高く、予後経過の良い治療ができているかどうかを見極める資料となる。

(*4)弁膜

心臓および静脈・リンパ管などの内部にある、開閉する膜のこと。血液・リンパ液の逆流を防ぐ役割を持つ。

(*5)チアノーゼ

血液の仲野酸素が欠乏して、皮膚や粘膜が青黒くなること。 先天性心疾患は大きく「非チアノーゼ性心疾患」と「チアノーゼ性心疾患」に分類され、 チアノーゼ性心疾患は幼いうちに発見されることが多い。

(*6)動脈硬化

血管の内側にコレステロールなどが付着して血管が狭く硬くなり、血液の流れが悪くなった状態。 心臓や脳などの重大な病気を引き起こす原因になる。

(*7)ダヴィンチ

内視鏡手術支援ロボット ダヴィンチのこと。 米国のロボット開発会社インテュイティブサージカル社が開発した。

(*8)胸腔鏡下弁形成術

胸に数センチほどの切開を複数作成し、そこから胸腔鏡と手術道具を挿入。 弁やその周囲の形を整え、弁の機能を回復させる手術。

(*9)セカンドオピニオン

最初に受けた医師の診断の後に、別の医師にも求める意見のこと。 セカンドオピニオン外来を設置している病院も近年増えている。 基本的に公的医療保険が適用されない自費診療となり、病院によって費用が異なる。

プロフィール

順天堂医院前院長/心臓血管外科医 天野 篤

2002年7月、順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。
2012年2月、東京大学医学部附属病院で行われた天皇陛下の心臓手術(冠動脈バイパス手術)を執刀。 2016年4月より2019年3月まで順天堂大学医学部附属順天堂医院院長。

取材先

今回はこちらを訪れました!

順天堂大学医学部附属 順天堂医院

〒113-8431 東京都文京区本郷3丁目1-3
TEL:03-3813-3111(大代表)

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